日本最古の木活字との出会い
長野本社の A.Sです。
学生で混み合う京阪叡山電鉄を「一乗寺駅」で下車し、そこから坂道を登ること15分。ちょうど息が切れてきたあたりに、その寺はありました。
山門をくぐり、龍をモチーフにした枯山水の石庭を抜け、正面の建物の中に入ると、そこには見覚えのある展示物が並んでいました。活字です。よく見ると、手で彫られた木製の活字で組まれた組版がいろいろと展示されていました。
約400年前に使われていた日本最古の木製活字です。材質は硬くて木目の細かいサクラ材が使われています。当時作られた約10万個のうち、5万2320個の木活字(国指定の重要文化財)がここに現存しています。
この組版から印刷された印刷物を見ると、同じ文字であっても線の太さやアキ、点のかたちなどが微妙に異なり、現在のフォントにはない個々の文字独自の違った表情がありました。同じ文字を時間経過の中で、色んな人が手掛けたのでしょう。また、並んだ文字を、少し離れて遠目に見ると、書体による濃度ムラがそれほど現れないところも、書体自体の絶妙な統一感のある完成度の高さを感じました。
木活字が日本に伝わる以前、知識を文字で伝達する方法は、手書き写本か木版印刷くらいでした。多様な文字を素早く組み替えて繰り返し使える木活字は、「知識を広く、早く届ける」という社会的ニーズに応えようとしたイノベーションだったに違いありません。文字組を生業にしてきた者として、先人たちの学びへの情熱や、活字文化の原点にふれた思いがしました。
なぜ、こんなところに木活字が残っているのでしょう。説明によると、徳川家康が教学のために足利学校の僧・元佶(げんきつ)禅師を招き、伏見に寺を建立して圓光寺学校としたのが起こりだそうです。大勢の僧や武士が入学し、令和の現代でも経営者やリーダーをはじめ、さまざまな人に読み継がれている『孔子家語』や『貞観政要』など、多くの書籍の刊行も行われたそうです(『貞観政要』は、YouTubeでオリラジの中田敦彦が熱く解説しています)。
その寺が伏見から相国寺山内を経て、寛文7(1667)年に現在の地へ移転したそうです。
一乗寺界隈は、この寺をはじめ、詩仙堂、曼殊院門跡など、紅葉が美しい庭のある寺がいくつもあります。また、ラーメンの激戦区でもあり魅力満載のエリアです。
参道が赤く染まる頃、またゆっくり訪れたいものです。



